「妥協」って悪いこと?
みなさんこんにちは!クリエイターズラウンジへようこそ!
いや~、卒業シーズン間近ですね。みなさんも春から「新生活スタート!」といったところでしょうか?私もその一人です。
そんな私ですが、実はこの学生生活に満足出来ていません。むしろ後悔が残っております。
大学生活は以前のブログでも提示したように「人生の夏休み」と呼ばれています。つまりその過ごし方は多種多様。様々な生活を送り、楽しみもあり、困難もありと多くの感情を抱くわけです。
しかし私の場合、夏休みどころか「長期強化合宿」をこの学生生活で過ごしていたように思います。強化のほとんどがスキル向上、知識を深めたりと、栄養になることは多かったですが、肝心の「休み」になってたかというと全くです。
なぜ、このような状態に陥ったのでしょうか?
私の敗因は、「全てに本気になりすぎた」ことでしょう。
人は本気になると、時を忘れて一つのことに没頭します。それは仕事でも、趣味でも、食でも同じことです。しかし、そのようになると、1つの過ごし方だけで1日が過ぎてしまいます。仕事に没頭すれば、趣味の時間はなく、逆も然りです。
大切なのは「適度な「妥協」をする」ことです。
表面的には妥協は「これでいい」と、物事に対して真剣に取り組んでいない行動の表れだと思われています。私の嫌いな言葉であり、嫌いな姿勢でした。
しかしよく考えると、妥協はその物事に一時的な目途を立ててくれます。議論が白熱化した時、長い時間「本気」状態だと、その議論は整理されないまま、感情的なものになってしまいますが、妥協をすることで「とりあえずここまで」という終止符を打ってくれるわけです。
それは遊びでも、食でも同じことで「本気」になるとどこまでも極めたくなりますが、それでは自身の満足のいくところまで実践してしまうので、終わりがありません。
「妥協」を加えることで初めて、「これでいい」という終わりをもたらしてくれるのです。
妥協をもたらすきっかけは、1日1日に目標を立てることから始まります。「今日はこれができたら寝る」とか「これをしたらおしまい」という目標を1日に立てることで、本気で取り組む時間に区切りをつけます。目標のところまでいけば寝たり遊んだりと、違う過ごし方ができるようになります。私も、適度な「妥協」をしながら、生活してみようと思います。
適度な「休み」がとれるように…
【本日の投稿】
LiA Project 佐藤裕尚
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